今日から1週間前、世界中の人々に衝撃を与えるニュースが駆け抜けた。アップルのスティーブ・ジョブズ氏の死去を伝える報道だ。56歳だった。
真理・真相は彼にしか分からないが、きっと大変幸せな人生であっただろうし、私たちから見ても、これほどまでに世界中の人々から惜しまれ、感謝の念に囲まれている姿は本当に幸せな死に方だと思う。僕自身、大学時代から今日に至るまで、ジョブズ氏にまつわる書籍や彼の言葉、そしてMacやiPod、iPhone、iPad・・・と、本当に大きく良き影響を受けた。僕がTwitterでジョブズ氏の訃報を伝えるツイートを行ったのは、「iPhone」からだった。
本当に残念ではあるが、改めて、心からご冥福をお祈りするとともに感謝を申し上げたい。
今までありがとうジョブズさん。どうか安らかにお眠り下さい。 Thank you, Steve.
故スティーブ・ジョブズ氏に敬意を表し、ここにスタンフォード大学卒業式で行った、伝説と言われる彼のスピーチの全文和訳を掲載する。とても価値のある素晴らしいスピーチだ。1人でも多くの人に届けたい。
どうも。ありがとう。今日は世界有数の大学の1つを卒業される皆さんとここに同席でき、大変光栄に思います。実のところ私は大学を出ていません。ですから私にとって、これが今までで最も大学の卒業に近い経験になります。今日私がお話したいのは、私が自分の人生から学んだ3つの話です。それだけです。大したものはありません。たった3つです。
1.点と点をつなぐ
最初は、「点と点をつなぐ」という話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?その理由は私が生まれる前に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。
私は、自分が人生において何をしたいのか、それを見つけるために大学が何の役に立つのか、まったく分かりませんでした。にもかかわらず、自分はここにいて、親が生涯かけて貯めたお金を使い果たそうとしている。だから退学すると決めました。これで全てうまく行くと信じていました。
もちろん当時はかなり怖かったです。しかし、いま振り返ってみると、これが人生で最良の決断の1つだったといえます。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。そんな風に、自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、後からみればこの上なく価値あるものだったのです。
ひとつ例を挙げてみましょう。リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。それは美しく、歴史があり、科学では捉えられない繊細な芸術性をもった世界です。私は夢中になりました。もちろんそのとき、これらが人生の上で実際に役立つ可能性があるなどとは思ってもみませんでした。
しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるコピーに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、そんな先のことまで考えて点と点をつなげてみるようなことはできませんでした。しかし10年後から振り返えってみると、とてもはっきりと見えるわけです。
繰り返しますが、未来に先回りして点と点をつなげることはできません。後から振り返ることによって初めてできるわけです。だからあなた方は、点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じてほしい。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自分の心に従う自信が生まれます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
2.愛と喪失について
2つ目は、愛と喪失についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4,000人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、そういうことなのです。アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年は上手くいっていました。しかし、やがて将来のビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放されたという感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイビッド・パッカードとボブ・ノイスに会い、ひどい状態にしてしまったことを謝ろうとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンバレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しずつ気づきはじめました。アップルの退任劇があっても、私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、まだアップルが好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが、おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、後に妻となる素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され、私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭をともに築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でした、しかし、患者にはそれが必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られるようなひどいことも起きます。しかし信念を失ってはいけません。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じことです。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのですから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやることです。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けるよう。落ち着いてはいけない。心の問題と同じで、見つかったときにはそれと分かるものです。愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるでしょう。だから探し続けてください。1つの場所に固まっていてはいけません。
3.死について
3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」この言葉に強烈な印象を持ちました。それから33年間、毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がそう遠くないうちに死ぬと意識しておくことは、私がこれまで重大な選択をする際の最も重要なツールでした。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。自分の心に従わない理由はありません。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていました。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月だと宣告しました。そして、家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。要するに、今後10年かけて子供たちに伝えたいことがあるなら、この数カ月のうちに言っておきなさい、ということです。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何十年かは、これ以上、死に近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信を持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたいと思う人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきことなのです。死はおそらく生物にとって最高の発明です。それは古いものを取り除き、新しいもののために道を拓いてくれる革命の担い手なのです。いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと「古いもの」となり、取り除かれる日がきます。あまりにドラマチックな表現で申し訳ありませんが、それが真実なのです。
君たちの時間は限られています。他の誰かの人生を生きて自分の時間を無駄にしてはいけません。ドグマに捉われてはいけません。それは他の人たちの思考の結果の中で生きることだからです。自分の内なる声が他の人の意見・雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従う勇気を持つことです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を既に知っています。だから、それ以外のことは、全て二の次です。
4.Stay hungry, Stay foolish.
私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue " というすごい本がありました。私の世代にとってはバイブルのように扱われていたものの1つです。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、凄いツールと素晴らしい考えに満ち溢れたものでした。
スチュアートと彼のチームは "The Whole Earth Catalogue" を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうど今の君たちと同じ年だった頃です。最終号の裏表紙は、早朝の田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があれば1度は出会いそうな光景でした。写真の下には こんな言葉が書かれていました。
"Stay hungry, Stay foolish."
それが、彼らからの別れのメッセージだったのです。"Stay hungry, Stay foolish." それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方に対しても、同じことを願っています。
"Stay hungry, Stay foolish."( ハングリーであれ、バカであれ。)
ご清聴ありがとうございました。
Thank you, Steve. I regret it heartily. どうか安らかに。
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